この頃、出歩くたびに、ヨウカラとエリポンがスケッチブックを持ち歩いています。

スケッチの準備をする二人

スケッチブックを小脇に抱えるふたり

エリポンが、ヨウカラねえさんの影響を受けているのです。先日、と云っても、一か月前になりますが、夙川を上流に向かって歩いたときも、二人は小脇にスケッチブックを抱えて家を出ました。

ちょうど、彼岸花が咲いている時期で、毎年一株が顔を出す堤防をのぞき込みますと、赤い花が咲いていました。さっそく二人は堤防の土手を降りて、スケッチを始めました。目的地はまだまだ先で、寄り道と云うことになりますが、別に急ぐわけではありません。二人は鮮やかな赤い花の一株を囲んで、白い紙の上にえんぴつを走らせます。

試行錯誤しつつ、ディテールを表現しようとするヨウカラとは対照的に、エリポンのスケッチは大胆です。ほんの一分ほどで、書き上げてしまいました。何というか、目に映ったものを、そのまま表現する。彼女の絵には迷いがありません。いや、数秒間、迷っているのかも知れません。それは彼女にしか分からないことですが、端から写生するそぶりを見ている限り、全く迷いが感じられないのです。

堤防に咲いていた彼岸花 エリポンのスケッチ

一分後に完成した彼岸花の絵

見事に出来上がりました。誰がみても彼岸花です。色が付いていないのが残念です。彼女の色彩感覚はさらに鋭いのです。

全ての子ども達は、純粋な表現者としての魅力を持っていると思います。ナミンチも、ヨウカラも、ある時期に恐るべき絵を描いていました。「私は子どもの頃、ラファエロのように描くことができた。しかし子どものように描くには、それから何年もかかった」と、云うのは、ピカソの言葉だそうです。時間は全てを押し流し、子ども達は成長していきます。成長と云う言葉の重さを感じます。


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