Gotaku Statements of the OYAKONEWS : April '06

ご案内the OYAKONEWS

2006-04-21

短い箸

コンビニ弁当そのものが貧乏くさい。短い割り箸はなおさら。私には我慢しがたい。

前橋市の群馬県庁

前橋に住む知人を訪ねた。東京経由で新幹線に乗る。隣町の高崎で降りて両毛線に乗り換えて前橋へ。群馬県は有力な政治家を何人も輩出している。知人は、時間がたっぷりあれば、山の方に行ったり、温泉を訪れたりできるのだが、町の中は余り見るところがないと、少し申し訳なさそうに仰る。

とりあえず、群馬県庁に向かい、展望台にのぼった。大変な眺めの良さで一見の価値があるが、県民の税金で作られていることを考えると、過度に贅沢な建物と感じた。空間そのものが有効に利用されていない。子どもたちが駆け回るには良い。

展望台の傍らの日本食レストランで昼食、その後、展望台から見下ろしていた県庁近くの親水公園に向かった。公園はすぐ近くであるが、駐車場を横切り、余り整備されていない道路を通った。折角なら、県庁を含めて、全体を公園のようにしたらよいと思った。何しろ、県庁は城跡に建てられている。無粋な道路は掛け替えて、城跡と利根川を含めた一角を県民や市民のために解放するくらいのことをやれば、高層ビルの県庁も価値が増すだろう。詰めが甘い。

親水公園はなかなか遊び甲斐のある、良いところだっただけに、勿体なく感じた。。


2006-04-16

最近読んだ本

最近になって読んだり、買ったりした本。

江國香織さんの本を文庫で数冊買って読んだ。最初に読んだ「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」(集英社文庫、ISBN4-08-747785-1)が大変良かった。その後何冊か読んだが、エッセイはあまり面白いと思わなかった。「流しのしたの骨」(新潮文庫、ISBN4-10-133915-5)は大変良かったので、妻にも勧めた。江國さんに興味を持ったのは、絵本の翻訳をしていたから。

続いて、ちょっと前に買って、積んであった「海辺のカフカ」(村上春樹、新潮文庫版)を読んだ。妙に筋道の立った、理屈の通る大島氏のようなキャラに私はうんざりするのだが、ナカタさんやホシノさんにほっとする。それが、交互に出てきて、読みごたえはあったが、何となく自分の中では一つにまとまらない消化不良のような気分が残った。それでいいのかもしれないし、読み方が足りないのかもしれない。そのうちにもう一度読んでみる。その前に「ねじまき鳥クロニクル」も文庫で読んだのだが、途中で疲れた。これも消化不良の気分になった。

藤原正彦氏のベストセラーも読んだ。藤原氏は讀売新聞の人生案内の回答者としておなじみである。数学者の藤原氏がどうしてこのような面倒に口を突っ込むのか分からない。この頃は右寄りの話をしていると、サヨクは大人しい。逆に、左寄りの話をすると、ウヨクの人たちはかなりうるさい。藤原さんの書いていることはかなり右寄りと感じた。喜ぶ人も多いのだろう。この本がこの先の世の中にいくらかの影響を与えるだろう。人々はマニュアルを求め、藤原氏の言うところの「真のエリート」たちがマニュアルを用意してくれることを期待する。問題をA地点からB地点に忠実に移す、なぜ移すのかを考えようとしない子供たち。マニュアル本の効用である。そのうちに真のエリートが完璧な筋書きを用意し、人々はなんの疑念も持たずにマニュアルを踏襲する。危険ではないか?エリート以外はそうあるべきなのか。論議の出発点が重要らしいが、自己否定ではないか。

内田先生の「態度が悪くてすみません」ISBN4-04-710032-3も手に入れた。これから読む。

図書館で、宮沢賢治の絵本を借りてきて、子供たちに読んで聴かせた。声に出して読むとすごい。天才の本は声に出して読もう。


2006-04-14

懲役20年

地方の放送局の記者が、インターネットで知り合った女子高校生を暴行し、逮捕された。暴行するときホテルに拉致し、知人の協力を仰いだことから、集団強姦やわいせつ目的誘拐などの疑い。2005年刑法改正で新設された集団強姦罪が成立する。懲役20年。RKB記者の場合、常習性、計画性があり、ビデオ撮影までしているから証拠も十分、情状酌量の余地があるとは考えがたい。20年の懲役は間違いないだろう。そもそも、集団強姦罪に情状を考慮しうるケースは稀だ。

20年と聞くと、随分長いように思う。件の記者がその点を認識していたかどうか。ちょん切れば良いではないですか。私の同僚が言う。そうだな、ちょん切るか、20年オリの中か、どっちが良いか?と尋ねると、20年ぶち込んで、ちょん切ればいい、と云う。それは随分厳しいな。

被告人の多くは出来心で犯罪におよぶ。私はそのような犯罪に手を出すつもりはないが、自分が被告の立場に立ったときのことを想像してみる。ちょん切られるか、20年か、なかなか難しい選択だ。

酌量の余地があるとしたら、記者が自らの犯す犯罪の罪の重さを知っていたかどうか。それくらいだろう。ちょん切った上に20年を主張した同僚は、所謂出会い系サイトで加害者と知り合ったという点で被害者側の落ち度を指摘する。私は出会い系サイトと今まで縁がなかった。出会い系サイトというのは、そういう所なのか。分からない。

無知の罪を思う。加害者は、もしかすると自分がおこなう行為が、どれほど被害者を傷つけ、社会に悪影響を及ぼし、そして、自分の一生をぶちこわすか認識していなかったのかも知れない。被害者は、その先に怖ろしい犯罪行為があるかも知れないと云う認識を持てなかったのかも知れない。

犯罪行為に対して同情しない。もし、無知がその背景にあるとしたら、そのことには同情する。

私は被害者に落ち度があるとは思わない。端末の向こう側を信用してはいけないと助言する程度だ。

間違った情報から、間違った認識を植え付けられ妄想が生ずる。それが現実との区別が出来なくなり、犯罪におよぶ。ネット上の模擬的な空間に展開する仮想現実は、妄想を助長し、リアリティを薄める役割を果たす。